ターニャ・サヴィチェワ


ターニャ・サヴィチェワ

タチアナ・ニコライェーヴナ・サヴィチェワ(Tatyana Nikolayevna Savicheva 1930年1月25日生)
 [日記を残した少女]


 第二次世界大戦下の1941年9月8日〜1944年1月27日までの900日間、レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)はドイツ軍によって包囲され、食物・燃料の補給路を断たれ、冬の寒さと飢えの中で多くの市民が犠牲になった。

 ターニャは12歳のときこのレニングラード包囲で家族全員を失う。たった一人残ったターニャはその後施設に入るが、1944年夏に赤痢で亡った。

【ターニャの日記内容】
1941年12月28日の午前12時、姉ジェーニャが死んだ。

1942年1月25日の午後3時、おばあちゃんが死んだ。

1942年3月17日の午前5時、兄リョーカが死んだ。

1942年4月13日の深夜2時、ヴァーシャおじさんが死んだ。

1942年5月10日の午後4時、リョーシャおじさんが死んだ。

1942年5月13日の午前7時半、──ママ。

サビチェフ一家は死んだ
みんな死んだ
残ったのはターニャだけ

 遺されたターニャの小さな手帳は、ニュルンベルク裁判の際に連合国の検事によって証拠品の一つとして提示された。現在『日記』はレニングラード歴史博物館に、そのコピーがピスカリョフ記念墓地に展示されている。

 1944年7月1日死去(享年14)





w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ